SSブログ

葵祭 斎王代 行列コースと時間 [地域情報]



京都三大祭り 「葵祭」 本日開催 今年のヒロイン斎王代は28歳

葵祭の始原の祭り‐御生神事‐御蔭祭を探る―世界文化遺産・賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭り葵祭の始原の祭り‐御生神事‐御蔭祭を探る―世界文化遺産・賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭り
新木 直人

ナカニシヤ出版 2009-01
売り上げランキング : 595358

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


今年の葵祭のヒロイン、「第57代斎王代」に選ばれた亀井敦子さん(28)は、老舗呉服店「ゑり善」社長の亀井邦彦さん(59)のご長女。

自動車販売会社にお勤めで、自動車の販売・営業をご担当されているとか。
大学時代はよさこいチームに所属、全国各地でイベントに参加されていた活動的な女性です。
左京区で育ち、小さい頃から葵祭は身近な祭で、十二単衣(ひとえ)姿の斎王代は憧れだったそうで、
「身に余る光栄。
京都の町のお役に立つことができれば、これほどうれしいことはありません。」
笑顔でインタビューに答えました。

【第57代「斎王代」 会社員の亀井敦子】朝日新聞デジタル動画
動画 やっぱり美人さんですねえ>>>http://www.youtube.com/watch?v=prSc5tqFWUY

【葵祭 行列コースと時間】
京都御所 出発(午前10時30分)堺町御門
→ 丸太町通
→ 河原町通
→ 下鴨神社到着(11:40)
社頭の義・出発(14:20)
→下鴨本通
→洛北高校前(14:40)
→ 北大路通
→ 北大路橋(14:55)
→ 賀茂川堤
→ 上賀茂神社到着(15:30)

【葵祭とは 京都市観光協会より】
賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭で、5月15日に行われる。
古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名であった。

この祭の特徴は、平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、わが国の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されているということである。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。

祭の起源と沿革は、今から約1400年前の欽明天皇の567年、国内は風雨がはげしく、五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった、伊吉の若日子に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであるというので、若日子は勅命をおおせつかって、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったという。

また、819年(弘仁10)には、朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行うという、国家的行事になった。
なお、応仁の乱(1467-77)ののち、1693年(元禄6)まで約200年の間、1871年(明治4)から1883年(明治16)まで、1943年(昭和18)から1952年(昭和27)まで、中断や行列の中止があった。しかし王朝の伝統は忠実に守られてきた。

祭儀は、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つからなるが、現在は路頭の儀と社頭の儀がおこなわれている。

この祭の見どころは路頭の儀(行列)で、勅使をはじめ検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など、平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を出発する。総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の風雅な王朝行列が、遠く東山や北山の峰々を眺望しながら下鴨神社へ、さらに上賀茂神社へ向かう。
その道のりは約8キロにもおよぶ。

社頭の儀は、行列が上、下両社に到着した際、それぞれの社頭で行われる儀式で、勅使が御祭文を奏上し御幣物を奉納する。さらに平安調を偲ばせるみやびな雰囲気のなかで、神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が奉納される。



【WEBで稼ぐヒント】http://webrich.blog.so-net.ne.jp/


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。